2014年08月28日

私にとっても、葬儀は、夫とのお別れの場ではありませんでした

夫の希望に応じえて選んだ在宅医療でしたが、在宅にして本当によかったとつくづく思わされたのは、この終末期でした。なによりも、最後の時期をプライバシーが守られた空間で、本人のペースでゆっくり過ごすことができた。とくに、危篤状態から回復したあと亡くなるまでの40日間は、それまでの人生が凝縮されたような濃い時間をともに過ごし、葬儀のことについてもお互いの気持を共有することができました。さきほどお話ししたように、彼は自分の葬儀を、みなさんにお礼とお詫びを伝えるイベントであると考えていたのです。その気持ちを40日かけて夫から引き継いでいたため、私にとっても、葬儀は、夫とのお別れの場ではありませんでした。

このイベントを、その場に姿かたちのない夫に代わって、絶対に私が成功させなければ。そんな思いで通夜も葬儀も走り抜け、気づいたら終わっていた。でも、協力してくださったみなさんのおかげで、夫のイメージ通りのことができたように思います。最後に「稚ちゃん、バッチリだよ」という彼の声が、確かに聞こえたような気がしたのです。葬儀のあとも、夫は私にさまざまなミッションを用意してくれました。まず、葬儀の直後は、彼が最後の1ヶ月で書き上げた著書『僕の死に方』を世に出すための作業に忙殺されて。四十九日の忌み明けに香典返しとしてみなさんにお渡ししたかったため、悲しみに暮れる間もなく、原稿のチャックや校正など、著者の仕事を肩代わりする作業に追われました。

編集者である私にとって、原稿をチャックし、一冊の本の仕上げることは、慣れ親しんだ作業です。作業をしながら、夫はおそらくことまで考えていたのだろう、と気がつきました。夫を失った私が気持ちを切り替えられるように、こんな仕事を用意してくれたのだ、と。もうひとつのミッション、それは「ただちに引っ越せ」というものでした。一人で遺される私の生活を気づかい、生活コストを下げるために、二人暮らしの部屋からもっとコンパクトな部屋へすみやかすに引っ越すように、生前から言われていたのです。四十九日を終えた直後、私はこの言葉に背中を押され、引越しを決行。夫の荷物の処分と自分の荷造りに追われ、遺品の数々を前に思い出に侵るひまもなく、感情をそのあたりにおいたまま、機械的に作業を行うことになりました。
posted by コウベビューティーのナノエモリエントジェル at 18:15| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする